八甲田山 湯治日記(1)

中 村 孝

期  日  1997年3月28日(土)〜4月3日(月)
パ−ティ 中村 孝

 




 商売柄3月下旬から4月上旬まで1週間の休みがとれる私は、2年前から東北に山スキーに出かける
ことにしている。

 一昨年は欲張って、スキーを使った山越え繰り返しながら温泉巡りをする予定を立てたのだが、そうそう天気が続くハズがなく、ほとんどバスと列車を使った移動になってしまった。毎日荷物をまとめ、チェックアウトをすることは結構面倒だった。結局、行動できたのは、5日間のうちたった2日だけというお粗末な山行になってしまった。

 そこで、昨年からは、条件の良い日をねらっていつでも出かけられるように泊り場を固定するスタイルに変えた。宿代が安く、登山口に近く、幾つかのルートが採れて、しかも温泉のあるところといった複雑な条件を満たすところなんてあるか?と期待しないで探していたら、これらの条件を全て満たすところ八甲田山・酸ケ湯温泉を発見することが出来た。昨年の山スキーの印象がとても良かったので、今年も引き続き当地で湯治を兼ねた山行を計画した。
 
3月29日(土) 天候 快晴 酸ケ湯(11:40) ―― 地獄沢(12:20) ―― 仙人袋避難小屋
(13:00、13:20) ―― 大岳避難小屋(13:50、14:20) ――酸ケ湯(15:10)

  昨日は宿に18時過ぎに着き何もしなっかたので、今朝になってから宅急便で送った荷物の確認をし、無事ザックとスキーを手に入れる。今日は時間を遅いので、大岳環状コースに行くことにする。登山口は宿の裏に回ったところ。身支度を整えて出発。中途半端な時刻にもかかわらず、私以外に2人パーティーと外国人を含む4人パーティーがいた。去年は板を履いてもつぼ足でも大差なかったので、つぼ足で歩き始める。晴天の日の昼前は気温も上がり、雪は腐っていて歩きにくい。しかし、地獄沢に入れば雪は締まっているだろうと思い、つぼ足のまま行く。途中で下山してくる人とすれ違ったが2人ともワカンを履いていた。地獄沢の少し手前で先ほどのうちの1人に追いつかれる。彼はスノーシューを履いて快適そうに歩いている。標識の43番を過ぎ、地獄沢に下りたところで一本とる。ほどなく、さっきの6人が三々五々やってきた。彼らはスノーシューかワカンを履いていて、スキーは一人も履いていなかった。

 腐った雪のなか、先頭で歩いてきた私はちょっと長めの休息を取り、スキーにシールを着けることに下た。スキー登高の威力は抜群で50mほど先を行くワカン2人組をあっという間に追い抜き、先ほどまでと打って変わった快適なシール登行で仙人袋避難小屋に着いた。土曜のためか、小屋の周りには沢山のスキーが立てかけてあった。単独の自分が入るのは何となく気が引けたので、外で休息を取る。暫くすると外国人さんを含む方の4人パーティーがやっと到着した。

 ここから大岳まで登ろうかと思ったが、雲行きが怪しくなってきたし、風も出てきたので大岳の裾を回り込むようにして、大岳避難小屋に出る「環状コース」を採ることにした。八甲田の良いところは、3月の下旬になると山スキーのコースに竹の標識が打ってあるところだ。好天ならば、じゃまに感ずることもあるが、吹雪かれたときは本当に有り難い。この竹標識のおかげで、ロ−プウエィが不通になるほどの吹雪いた日も、安心して行動できる。

 大岳避難小屋でスキー靴を滑降モードに代え、いよいよ酸ケ湯までの滑降を楽しむ時間になった。快適に滑れることを期待したが、強風に加えて上部はガリガリのアイスバーンだし、中腹の林間は雪がモナカ状で、快適とは言い難かった。最後の急斜面を豪快に(?)滑り終わると酸ケ湯温泉の目の前に到着し、本日の行動は終了である。
そしてその5分後には有名なヒバ千人風呂で、冷えた体を温めたり、打たせ湯で筋肉の緊張をほぐしたりし、とても幸せなくつろぎの時間を楽しんでいた。
 

4月1日() 天候 晴れ(風強い) 酸ケ湯(11:00) ―― 仙人岱避難小屋(12:10.12:45) ―― 小岳
(13:10) ―― 大竹避難小屋(14:20.15:00) ―― 箒場岱(16:00)

  昨日までの2日間は冬型気圧配置となり、酸ケ湯温泉でも50cmの積雪を見た。山は真っ白のガスで覆われていて、風の音が凄い。おまけに時々雨も混じっていたので行動を止め、持ってきた仕事をした。

 やっと晴れたが宿の周辺でも強風が吹いている。これでは山に行ったら物凄い風だろうなと思い、行動するか否か随分迷ったが行動することに決める。フロントにキーと一緒に登山届を出すと、若い従業員は天気が良くなって今日は最高ですよ!、と声をかけてくれる。あまりに嬉しそうな表情で話しかけてきてくれるので、風が強そうで…等とは言えずに、本当に良い天気ですね、と明るく答えてしまった。

 今日は、地獄沢をつめて仙人岱経由で赤倉岳東斜面に行く予定だ。初めからシール登行なので快適である。いつものように避難小屋まで70分であった。小屋に入ると3人の人がいた。今日は月曜日なのにどんな職業なのかな?と思ったが、人に逢うのは楽しい気分になるものだ。小屋の中のノートを読むと、去年この小屋で逢った京都の大学WV部のメモが書いてあり、懐かしい気持ちでそれを読んだ。去年も冬型の気圧配置が5日間程続き、山は荒れていた。彼らWV部員はこの小屋に4日間いたが、滑ったのは半日だけだったそうだ。せっかく山スキー 一式を揃え、はるばる京都から来たのに…という残念な気持ちが文面に表れていた。そう言えば、大岳避難小屋のノートにも東洋大学WV部が3月20日あたりは大荒れでここ数日のあいだ全然行動できない、と書いてあった。おまけに楽譜付きで「♪ひまだ〜ひまだ、ひまだ〜」という曲が書いてあった。八甲田の4月上旬は、まだ山スキーの本格的なシーズンではない様だ。

 さて、私は大岳に上がろうかと思ってきたのだが、風の強さは半端ではないので、となりの小岳に行くことにした。下から見ると下りは林間を縫って滑ることが出来そうだったし、大岳の裏に当たるので風も少しは弱いだろうと思ったからなのだが、ことごとく予想は外れてしまった。私が吹き飛ばされるほどの風が吹いていたし、林間はデコボコでしかもガチガチに凍っていて、とてもじゃないが滑ることは出来ない。仕方ないので、シールを付けたまま歩いて下りどうにか、環状コースの標識竹を見つけた時はホッとした。大岳の裏側に回り込むといくらか風も弱まり、気分も落ち着いた。しかし、大岳避難小屋を目指す最後の行程では、さらなる苦労が待っているとは思いもしなかった。

 小屋は井戸岳と大岳の鞍部に建っていて、東西が風の通り道になっている。今日の風も猛烈な西風である。風を真正面からまともに受けて、小屋に至るようにコースはついている。これまでも強風は何度も経験しているが、今回の風はその中で間も上位にランクされる強さだった。体を前傾し、ストックを強く突かなければとてもじゃないが、立っていることも出来ない。スキーアイゼンを付けていたから良いものの、アイゼンなしだったら、あの強風とガチガチのアイスバーンでは、まともに前進することは出来なかっただろう。ようやく小屋に着き、中にに入った時は本当に良かった!と思った。

 バスに乗り遅れると帰れなくなるので、風はちっとも弱くならないが出発する。相変わらずの強風で、スキーを付けることでさえ一苦労だ。普通は立ったまま付けるのだろうが、片足を付た状態でもう一方のスキーを付けようと気を抜くと、風で前進してしまう。仕方なく、座っての準備となる。付けてしまえば今まで行動の邪魔をしていた、憎らしい風が逆に味方になってくれる。目的の赤倉東斜面まではトラバース気味に進むのだが、足を動かすことなく風の力が目的地まで運んでくれる。スピードが出過ぎるので上方に進路を変えると、重力に逆らって登っていくほどの風だった。

 あっという間に広々とした斜面に出た私は、箒場岱コースの竹標識を見つけ安心する。これで、バス停までは迷わずに行ける。広大な斜面を一人占めした滑降はすこぶる気分が良い。井戸沢を渡り、樹林帯に入っても良く滑る。途中の新雪の斜面では見事にパラレルが決またので立ち止まり、見事な?シュプールを堪能する。樹林帯ではさすがの強風も弱まり、スキーを楽しむ余裕が出てくる。最後は推進滑降をして、無事に箒場岱のバス停に着く。今日から運行を始めたバスも到着していた。

 まだ発車までは30分あったので売店に入ったら突然「お久しぶりね〜」と声をかけられた。声の主を見るとそれは、去年お世話になったバスの車掌さんであった。去年も4月1日に来たね、と1年前のことを良く覚えていてくれた。そして、私たちの会話を聞いて出てきた売店のおばさんも私のことをおぼえていてくれ、ひとしきり話がはずむ。再会を祝して飲んだビールの味は最高だった。